永遠の水玉

― 収束性ドット世界 ―

十代目松本幸四郎さんが二月の高麗屋三代襲名披露興行でお披露目した草間彌生さんデザインの祝幕がすばらしい

「芸術はある意味戦いだ
 あなたもわたしも芸術に負けず戦っている
 あたなが残しているものは本当にすばらしい
 わたしはこころからそう思います」
うるんだ瞳でまっすぐに彌生さんは幸四郎さんに語られる

正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。ごらんなさい。向うの青いそらのなかを一羽の鵠がとんで行きます。鳥はみなそのうしろにそのあとをもつのです。みんなそれを見るのです。おんなじようにわたくしどもはみなそのあとにひとつの世界をつくって来ます。それがあらゆる人々のいちばん高い芸術ですー宮沢賢治 「マリブロンと少女」ー

愛はとこしえ」展覧会を訪れ
わたしもこの可憐でまっすぐな瞳のかけがえのない魂の存在に夢中になった

「体という体、物体という物体を水玉で埋め尽くして自己を消滅させてしまう」
エキシビション映像でそのようなことを語られていたと強烈に記憶している

個体は液体からなり、液体は気体からなり、気体はエネルギーからなるとすれば
物体を無限の粒子に還元させていくようなこの行為は宇宙の謎を解き明かす鍵のようであり
個を全体から引き離す原罪意識を手放すこと、すなわち赦しの行為であるように感じられた

宇宙そして赦しの謎を解き明かし、

けっして所有することのなかったかけがえのない存在と永続的につながりたい
この願望的妄想は幾度となく私の表現行為の中で繰り返される

番組の中で幸四郎さんは芸の道の探求はほぼ妄想だとおっしゃられていた

― 収束性ドット世界 ―

一直線に連なっていくイメージから容易に脱することができない時間軸の概念
草間彌生さんの水玉のように同時多発的にループするように発生してほしい
大きな手がキャッチすることを疑いもせず安心して麦畑を落ちていく子供たち
オレンジのおしゃべりはオカメインコのクーちゃん