パラディオン~その人の名は

この出会いがなければ音楽をやっていない
ミュージシャンの数だけストーリがあるだろうか
私にとっての出会いーそれは
その人の名は天野あけみ先生

3歳で北海道から引っ越していった神奈川県茅ケ崎市辻堂の公務員宿舎
団地の別棟にピアノの先生が住んでいて、まず姉が通い始めた
我が家と変わらぬ4Kの質素な間取りのリビングいっぱいにグランドピアノがおいてあって
そこで、当時年の頃は25歳くらいだったろうか、天野あけみ先生が30名ほどの生徒を集めて教室を開いていた

まだ4つか5つで、いつも姉のお稽古に同行していたわたしは、色白で穏やかでふわふわの髪型で華奢な天野先生をお姫様のように崇めていた
もちろん母にねだった
「わたしもピアノ習いたい!」
「両手でドレミファソラシドを弾けるようになったらね」
というのが母と先生が設けた入門テストだった

お稽古では、課題曲の合格のしるしに譜面にシールを貼ってもらえた
かわるがわる常にたくさんの種類のシールから選ばせてくれた
お稽古が終わると
「それじゃあ、ちょっと待っててね」
先生はアコーディオンカーテンで仕切られたキッチンスペースにそそくさと姿を消す
わたしはソワソワしながら5分か10分、ソファでお行儀よく待っている
すると先生がお盆を持って戻ってくる
待~ってましたー!!!
楽しみにしていたのはおやつタイム
チョコレートがかかった三角形のケーキとか、我が家ではまず目にすることのないワンランク上のおやつがふるまわれた
幼稚園から中学に入ってバレーボールと両立することができなくなって辞めるまで、バイエル~ソナチネ~ソナタ~そしてバッハのインベンションとシンフォニアにさしかかるところまで、天野先生のピアノ教室に通った

力強い良いタッチを生む正しい手の構え方を教えてくれる際、先生はよくこうおっしゃった
「さとこちゃんはまだ小さいから、ほら、手のここがくぼんでえくぼみたいになっているでしょう?大人になるとね、ほら、先生の手みたいにここに筋が出るの。この筋がちゃんと出るように指を使うのよ。」
先生の白くて華奢で柔らかそうな美しい手の甲に走る筋をどんなにか憧れの眼差しで眺めたことか
わたしの子供らしいえくぼの入った手が、こんな大人の白魚のような指先に変わっていくとは到底信じられず絶望したものだった

大人でキレイで優しい天野先生
同じ間取りなのにこんなに品の良い家具に囲まれて暮らしている天野先生
ワンランク上のお茶とおやつを振舞ってくれる天野先生
年に一度の発表会でぴかぴかのドレスでショパンを弾いてくれる天野先生

そういったすべての思い出、憧れが、私の中でイコール(=)音楽なのであり
とりわけ、ピアノという楽器の絢爛さ、麗しさと結びついているのだ

えくぼの手で練習するわたし